LIRY VOL.19 SPECIAL ISSUE “What’s Fashion?”

#6 Fashion Creation

ファッションを創る・生む理由人とは? デザイナーに聞く、ファッションプロダクト。

 

 

chapter 3

TOIRO-FIRANDO , Camuy i pirma : Yuri Ojika

平戸から世界へ アクセサリーからワンピース。

小値賀友理 さん

<トイロフィランド>、<カムイ イ ピリマ> デザイナー

アクセサリー〈トイロフィランド〉

ーファッションという仕事に興味を持ったのはいつ頃ですか?  

小さい頃からテレビや雑誌を見てファッションというより、カワイイというものへの興味がとてもありました。セーラームーンや、プリキュアなど、かわいい女の子っていいなと、常々思っていました。伴い、自分を見たときに自分自身へのコンプレックスを感じるようになったのもその時ですね。メイクや、洋服など、ファッションは自分自身の汚点は消せないけど、変われるツールだと認識したのもこの頃。

ー今の仕事はもともとやりたかった事だったんですか?  

柔道の成績が良かったので、ファッション系への進学はいったん断念し、教職に就く。という時期を経ました。教職についてみて、やはり自分はファッションの仕事がしたい。と改めて感じるようになり、再度服飾系の専門学校へ進学することを決めました。しかし、教職についたことで今のビジネスビジョンの源ともなるメイドイン平戸、ファッションを通して「平戸に仕事を生む」ことへも繋げるコトができたように思います。

ーどういう経緯で会社を立ち上げたんですか?  

ファッション関係の仕事と言っても、ショップ店員になって、平戸にお洋服屋さんを開きたい。と思ってたんです。学生時代にデザインと向き合っていた時は見た事あるものしかデッサンできなくて、モノマネはしたくないし、これは今の私がする事ではないのでは?思っていました。専門学校で出会った恩師たちのアドバイスを受けて、スタイリストという仕事と出会いました。現場で学ばせていただいた事は多々ありましたが、クライアントワークが多い中で、もっと私にしかできない事がしたい!と思うようになりました。なので様々な視点から見ることで、生み出せることができるのではないか?他の人との違いを作ることが好きな分、とにかく角度を変えて考え、何のために何ができるのか私にしかできないコトとして〈トイロフィランド〉を立ち上げました。

ーファッションビルにセレクトショップをオープンしたきっかけ。またなぜお店を出そうと思ったのでしょうか?  

正直、路面店でも良かったのですが、ブランドを立ち上げた当初から毎月天神や博多の何処かでポップアップショップを行なっていました。日に日にお客様が増えて行きましたが、数週間後同じ場所に来ても、私達はいないという事が沢山あり、いつ来るのか?どこで売ってるのか?と、ありがたいお問い合わせを多く頂くようになりました。お客様に此方側を探させてしまうこの現状は良くないと思い、場所を固定しショップをオープンすることにしました。天神や博多という便利な場所でやっていたのでにお客様の通いやすい場所にという事、私自身が「ヴィオロ」に好きなブランド・店舗が多く、この商業施設で販売していきたい!挑戦していきたい!と思ったからです。

 

アクセサリー〈トイロフィランド〉

ーオリジナルがある中、取り扱っているブランドについてはどういった基準でセレクトしているのでしょうか  

ショップの雑貨はアクセサリーがメインになります。オリジナルアクセサリーブランドと一緒に並んで雰囲気が合うかを重要視しています。また、セレクトブランドは、コンセプトや作り方に拘りがあり、商品自体がユニークであるかでセレクトしています。衣料品で言えばワンピースをメインセレクトとしていますので、オリジナルワンピースブランド〈カムイ イ ピリマ〉を含め、アクセサリーとコーディネートできるか、または、店頭に一緒に並んでもショップの雰囲気を崩さず、更にお客様が、ランクアップ出来るものかどうかを考えています。

 

ーそもそも、デザインをすることは好きですか?    

私自身生粋のデザイナーかと問われると、疑問に思うところもあります。もちろんとても考えてデザインをするし、絵を描くことも好きだったし、商品に対する思いもあります。何より誰のために何のために今デザインを起こしているか。を常に考えてます。元々、私は長崎県の平戸出身でして、平戸の街で暮らす方々と制作を開始しました。異文化交流で培ったオリエンタルなカラーとスタイル。そして様々な異なる素材をミックスし、既成概念にとらわれないファッションの新しいカタチを提案し、人が持つ個性を引き出すブランドとして平戸から世界に発信したいと思い〈トイロフィランド〉はスタートしています。約500年前、平戸は他国との貿易が盛んに行われた『西の都』と呼ばれていました、戦国時代から江戸時代初期にかけて貿易港として繁栄した街は、異国情緒溢れる歴史のある場所です。そんな、平戸の魅力を多くの人へ伝えるべく、Made in FIRANDO(長崎県平戸市)から生み出すコトをテーマにしています。なので、平戸独自の色彩と文化様式をイメージの源泉とし、アクセサリーをデザインしています。そこから、平戸に仕事を生むコトにも繋がると思っています。

 

アクセサリー〈トイロフィランド〉、ワンピース〈カムイ イ ピリマ〉。

ー海外での展示会も率先的にしているようですが、これからの大きなビジョンはありますか?     

コレクションを年に4回発表しており、年間を通してカッコイイと思う女性をイメージしてデザインしてます。個性的でアグレッシブなデザインが多いのでコンサバティブな日本でマジョリティとなるのが難しく感じていました。海外で出店した際、自分らしくアクセサリーを身につける姿にこれだ。と感じました。『売るコトに媚びるデザインにするわけでなく、売れるところに行けば良い』というシンプルな発想です。ただ、今回初のパリでの展示会では、課題が山ほどできました。いつも初めていく海外では、その国のリサーチは必須で、どうやれば受け入れられるのか?を把握し柔軟に表現することを考えています。作り上げる物のストーリーは何か?売り出す国では何を重要視しターゲットはどこなのか?を明確にした国に合った魅せ方が必要だと思っています。しかし、パリではアクセサリーという部類の中でもテイストが細分化されていました。パリそのもの自体の歴史を重んじ、尊重してるからこそ生まれる現代的で自由な発想を目の当たりにしました。海外でも国内でも、売れる物は異なりますが、国や人種、言葉の壁に障害を感じるのではなく、私が作るファッションアイディアを評価してもらい長く愛して頂く為に、どこまで通用するか挑戦し続けたいと改めて感じましたね。国内発信から、海外への発信もするコトで、売上も上がり生産率も上がりました。延いては根本の目的である「平戸に仕事を生む」に繋がる。デザインだけでなくマネタイズもしっかり考えて、会社が30年超えレベルで生きれるコトを今後は考え続けていきたいと思っています。

 

ー失礼ながら、お伺いします。今フリマ系サイトなどで流行している、ハンドメイドアクセサリーとの絶対的な違いなどありますか?  

アクセサリーという部類で違いはないですが、まず、アクセサリーの要となるパーツの金属が違います。何度着けてもメッキが剥がれないように特別な加工を金属に施しています。また、コレクションとして発表する為、ブランドごとのコンセプトは変わりませんが、毎シーズンのテーマが変わります。世の中に商品として出るまでかなりの人数が関わります。デザインにも時間が掛かり選定が行われた上で、そのシーズンのコレクションになっていき、国内、海外のバイヤーの選眼を通過したものが商品として並ぶという過程が違います。

ーでは、アクセサリーブランドから始まり、ワンピースブランドを展開していますが、アクセサリーから新たに衣服を展開した理由は。また、なぜワンピースなのでしょうか?  

実はアクセサリーがずっとやりたかった訳ではなく、ファッションがやりたかったんです。その始めとして、パターンなどを学んで無かったので、スタートはアクセサリーからでした。アクセサリーをやり続けるうちに、このアクセサリーに似合う服を提案したいと思いました。そこでwanna(ワナ)というショップが出来上がり、トータルコーディネートでアクセサリーが面白く映えるセレクトを始めました。しかし、どれもいい服ばかりなのですが、自分の中ではまだ納得出来ず、こんな服があればいいのに!と想像を膨らませる日々を過ごす中で決断しました。アクセサリーの作り方と服の作り方は違いがありますが、「デザインが出来ないのでは?」というネガティブな思考はアクセサリーブランドを立ち上げた経験上無くなっていました。オリジナルブランドを作るのはどうだろう?とスタッフや仲間達に相談すると、皆んな背中を押してくれました。ただ、作るなら何かに特化してはどうだろうか?と、他で出来ない事をやってみては?というアドバイスを得て、私の答えは、ワンピースオンリーブランドでした。フェミニンでもなく、オケージョンだけでもない。在り来たりでもない、ちょっとクセのある都会的で手頃なワンピースがあれば欲しい。あまり市場に無いからこそ、そこに特化したワンピースを作ろうと思いました。

ーデザイナーとしてこの仕事の魅力や、やりがいを感じるときはどんな時ですか?  

沢山魅力がある中で、悩みに悩んで出来た物が形となり、その物を着用している方を街で見かけた時が一番嬉しいですね!呼び止めて、これ、私が作ったんです!お友達になってください!と言いたくなります。沢山ある中で、それを選んで頂いた、その日会う人達に見てもらおうと選んだ一つに私の作った物が選ばれるのはとても光栄な事だと思っています。

ーブランド展開して思い出となる出来事や、今後につながる教訓となった出来事などあれば教えてください。  

ブランドを始めて7年目になりますが、1番の思い出は、やはり自分のショップが持てた時ですね。だから、他にも沢山店舗や商品がある中、私達の作る物を選んで頂き、長く愛して頂く必要があります。その中で、私達が作ったデザインを選んで頂いたお客様が、身につけることや、着ることで喜んでもらえるコトを想像していかなければいけません。大袈裟ではなく、これで誰かの人生が変わるかもしれない!と思ってひとつひとつ、デザインをすることを大切にしています。

*小値賀友理さん
<トイロフィランド>、<カムイ イ ピリマ> デザイナー
長崎県平戸市出身。教員に一度就職したものの、ファッションの夢を諦めきれず、服飾専門学校に通い卒業後、周りの恩師のアドバイスを受け、福岡を中心にスタイリストアシスタントとして業界の仕事に携わる。その後、ファッションを通して自分にしか出来ないことを問い<トイロフィランド>を設立。個性を素直に表現し続ける女性の強い味方となるデザインで、国内、海外問わず展開。現在は、主にパリ・香港・台湾での海外を展示会を意欲的に行っており、自分らしく在れるファッションブランドとして発信し続けている。

web : www.toiro-firando.com
Instagram : @toiro_firando.official

interviewer : H&M Ayano Ura

 

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