NAIL HISTORY
ネイルの歴史
ファッションには欠かせない指先のジュエリー…
大きく飛躍を遂げたネイル業界ヒストリー。 文化や時代背景と共に進化した〈ネイル〉は、あらゆるラインを超越し自由に組み合わせ、 ヒトの手で作り上げる、オンリーワンのファッションスタイル。
ルーツからジェルまで
爪の先まで、気をつかつようになったのは何歳からだろう。小学校低学年の頃、学校帰りに花びらを爪に擦りつけてピンクにうっすら染まった事で、気分が高揚したのははっきり覚えている。30代半ばの私が〈ネイル〉といえば、マニキュアを塗るという行為が最も覚えている爪と向き合った記憶である。どちらかというとポリッシュカラーは自分で塗るという認識だったが、いつの間にかお金を払ってネイリストに爪先を彩ったりしてもらうことが当たり前となった。自然とネイルの常識がシフトした今日に至るまでの〈爪〉についてを掘り下げてみた。
ルーツ・・・まず爪に色を施すその行為自体はなんと紀元前3000年頃からと言われているそうでエジブトの王族のミイラによって確認されているそう。色味は赤、そもそも古代の人にとっては、赤という色味は神聖で、太陽や血を表す特別なカラーで爪先を染め、、身だしなみとして重要視されていたそう。使われていたのはヘンナの花汁。しかも女性のみならず男性も施すという、古代の人々の美意意識が高かったコトが伺われる。
マニキュア・・・さて紀元前1200年頃ギリシヤでは、爪そのものを手入れする行為が上級階級の中でトレンドとなり〈マヌス・キュア〉という言葉が生まれた。マヌス(手)キュア(お手入れ)というラテン語が語源と言われてる。日本ではマニキュアといえば、ネイルカラーの意味合いとして認識されることが多いが、本来はネイルケアのことを意味する。ちなみにペディキュアはペディス(足)キュア(ケア)が変化したもので〈足の手入れ〉を指す。とにかく健康的で、ナチュラルな姿こそ美しいと言われていた時代。
スカルプチュア・・・時は過ぎ、世界で爪先までオシャレすることが当たり前となり、凄まじい勢いで進化を遂げていく。その中で新奇的な変化といえば1960年代ポップアートや、カウンターカルチャーなどの大衆文化の変化が激動に起きたアメリカでは、ネイル業界でも色が変わり、、スカルプチュア(人工爪)が誕生しました。付け爪の一種であり、自爪の上に、アクリル樹脂や歯科材料であるレジンなどを直接盛るネイルエクステイションとも呼ばれるスカルプチュアが世に広まった。1970年代は、ハリウッド映画のメイクアーティストが、数々の有名女優に施すための特殊メイクの一つとして、付け爪を開発。これが現在のスカルプチュアやネイルチップの始まりとなる。爪の延長や補強を行う技術でもあった。そして、当時国内ではアメリカ西海岸ブームが起こり、一つのカルチャーとしてネイルの専門サロンが紹介され、1980年代に日本にもネイルサロンが誕生する事にもなる。
ジェルネイル・・・ジェルネイルより先に登場したのはハードジェルである。日本では一般的にあまり馴染みがないものの欧米では人気のメニューとして歴史もあった。ソフトジェルが登場したのは、意外にも1980年代と、30年近く経っている。スカルプの長さを出すデザインと比べると、チビ爪ネイルなどナチュラルな美しさを魅せるトレンドも作り出し、幅広いニーズに応え、水仕事をしてもツヤや色味が落ちにくいという手頃なポリッシュカラーの優れた代替品であるかのように受け入れられ広まっていった。ジェルを塗布し専用のライトに照射し固まるので、失敗も少なくマニキュアのように乾かす手間が不必要。ソフトジェルは、ジェルが持つツヤを保持するメリットに加え、アセトンで溶かすことができるという技術的にも爪自体にも優しいという画期的なツールとなった。今日では、ミラーパウダーや、3Dアート、ホイルなど、様々なアイテムと組み合わせることで広大無辺の表現ができる様になっているが、ジェルネイルのブームなどが拍車をかけた事で、ネイリストは職業として社会的に安定するものとなり、ネイル業界は発展していったのである。
(文・宇良あやの)
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Photo / Hajime Matsumoto (hpc)
Nail / Manami Kimura & Shiori Yoshihara (drerich FUKUOKA)